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Biography

Biography

Dominic James Miller

Photo by Christoph Bombart
1960年3月21日アルゼンチン・ブエノスアイレス郊外ヒューリンガムで生まれる。父はアメリカ人、母はアイルランド人。

父はジョンソン・ワックス社(現SCジョンソン社)社員で、アマチュアながらも大変に音楽に造詣も深く、実際に歌なども上手かったそうです。また、ドミニクは子供の頃の話をこのように語っていました。「アルゼンチンの家庭にはアコースティックギターは普通に置いてある。そして自分は8歳ごろに姉のジュリーからギターを教えてもらって弾き始めた。最初にボサ・ノヴァであるとか南米の音楽を弾いた。姉のジュリーからはビートルズのイエロー・サブマリンを教えてもらった。」と言っていました。本格的にギターを学び始めたのは15歳ごろのようです。また、このアルゼンチン時代には両親と一緒に結構夜遅くまで音楽のある場所などに連れて行ってもらってとても楽しかったようです。

1971年 : 父親の転勤に伴い、ジョンソン本社のある、アメリカ・ウィスコンシン州ラシーンに転居

アルバム『November』の中には彼がアメリカ時代を過ごしたこの「ラシーン」という街と同名タイトル曲「Racine」があります。

1975年 : 1972年に一度ロンドンに転居後、再びアメリカ、ラシーンへ戻る。(15歳)この頃から本格的にクラシックギターを学び、またエレキギターを弾き始める。またこの年に初めて人前での演奏で報酬を得る。この頃には既にプロミュージシャンとして生きていく事を決意していた。

この時の話をドミニクはこう語っています。「私は15歳で、ウィスコンシン州ラシーンで、ザ・ラヴ・エクスプレッションズというバンドを組んでいた。クラブで演奏したんだけど、バンドだけでなく、建物全体で白人は僕だけだった。ただのカヴァー・バンドだったけど、いい経験だったし、本当に楽しかった。」

1976年 : ロンドンへ移住。名門ギルドホール音楽演劇学校学校に入学し、78年までクラシックを中心にギターを学ぶ。また76年にはアメリカ、ボストンにあるバークリー音楽大学のサマープログラムを受講。仲間から大きな刺激を受ける。

ここでドミニクは長年の盟友となる、レベル42の Key&Voマイク・リンダップに出会います。この学校は多くの著名俳優や音楽家を輩出しています。ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティン、チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレ 、同期のナイジェル・ケネディ。俳優ではユアン・マクレガー、ダニエル・クレイグ、オーランド・ブルーム、といった錚々たる名前が並んでいます。バークリーで学んだことについては、ドミニクは「仲間のミュージシャン達の音楽に対する意識の高さに目を見張った。自分のミュージシャンとしての仕事倫理に重大な影響を与えた大きな気づきだった。」と言っています。これは2010年のバークリーの広報に載ったインタビューですが、大変良いものなので、後日記事にしたいと思います。

・1979年 : ブラジルのギターの名手、セバスチャン・タパジョスに師事

これは結構強引に無謀な形で弟子入り志願したみたいですね。最初はタパジョスに「弟子なんか取らないよ」と断られたりしています。

1984年 : The Latin/Jazz Guitars of Dominic Miller and Dylan Fowlerをリリース。サンデー・タイムズ紙の「ギター・アルバム・オブ・ザ・イヤー」に選ばれる。また、フルーティストのデヴィッド・ヒースと『IGUAZU』というユニットを組むが、メジャーデビューには至らなかった。

これがドミニクが初めて世に出した作品です。この作品はプレスも1000枚ほどで、彼自身も所有していないと以前言っていました。メジャー・デビューが出来なかった『IGUAZU』というユニットですが、実はYouTubeで音源を聴く事ができます。これがめちゃくちゃカッコいいJAZZ FUSIONなんですよ!是非聴いてみてください。なんでメジャー契約出来なかったのかちょっと信じられない気がします。

1986-87年 : カール・ワリンジャー率いるワールド・パーティーのツアーに参加

ワールド・パーティでは『BANG!』(1993年)の録音に参加

1988年 : King Swamp加入。アルバム『King Swamp (1989)に参加し、『Wiseblood』 (1990)発売後脱退。フィル・コリンズの全世界累計700万枚売り上げの大ヒットアルバム『But Seriously』 (1989)に参加。『Another Day in Paradise』のギターで脚光を浴びる。この曲で『But Seriouslyは第33回グラミー賞レコード・オブ・ザ・イヤーを受賞。

ワールド・パーティのツアー中にKing Swampの中心人物だった、スティーブ・ハリウェルとデイブ・アレンに出会い、意気投合して加入したそうです。そしてフィル・コリンズのこの大ヒットアルバムへの参加により、ドミニクのミュージシャンとしてのキャリアが一気に開くことになります。ドミニクは、フィルの事を「僕のビジネス上の天使だ」と言っています。

1989年 : プリテンダーズに加入。3ヶ月ほど在籍。その後、フィル・コリンズの「But Seriously」のプロデューサー、ヒュー・パジャムの推薦を受け、NYで行われたスティングのオーディションに参加

プリテンダーズでは『Packed! 』(1990年)に参加。スティングのオーディションに関しては事件が起こります。

1991年 : スティング「The Soul Cages 」(1991年)が発売。スティングとの初めてのツアーに参加(1991年-1992年)タイトル曲「The Soul Cages」は1992年のグラミー賞で最優秀ロック・ソング賞を受賞。

このスティングの「The Soul Cages」はスティングが父親の死を受けて作った作品です。この作品とツアーは本当に素晴らしいものでした。聴いた事がない方は是非お勧めします。

1993年:スティング「Ten Summoner’s Tales」 (1993年)発売。もはやクラシックとも言える名曲『Shape Of My Heart』収録作品。

「Ten Summoner’s Tales」も傑作で、今のスティングのコンサートでも演奏される曲が沢山あります。「Shape Of My Heart」というもはやクラシックと言える名作のエピソードについてはこちら

1995年:1stソロアルバムFirst Touch

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・1999年:2stソロアルバムSecond Natureリリース

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・2003年 :デッカより、3枚目のソロアルバムShapesリリース

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・2004年:4枚目のソロアルバムThird Worldリリース

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・2006年:5枚目のソロアルバムFourth Wallリリース

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・2006年:日本限定版コンピレーションアルバム『Heartbeats 』をリリース

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・2010年 :6枚目のソロアルバム『November 』をリリース

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・2012年 :7枚目のソロアルバム『5th House 』をリリース

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・2014年 :8枚目のソロアルバム『ad hoc 』をリリース

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・2015年 :1枚目のソロアルバムFirst Touch』発売20周年記念盤『First Touch 20th Anniversary Edition 』をリリース
・2015年 ECMに移籍

この移籍はなんとECMのマンフレート・アイヒャーの方からドミニクの方にアプローチがあったようです。

・2017年 :ECMから1枚目、通算9枚目となるアルバムSilent Lightをリリース

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・2019年 :ECMから2枚目、通算10枚目となるアルバム『Absinthe をリリース

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・2023年 :ECMから3枚目、通算11枚目となるアルバム『Vagabondをリリース

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