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Sting's Audition Backstory

Sting's Audition Backstory
スティングのオーディション裏話

この記事は、2021年11月にスティングとドミニクが一緒に、リック・ビアトのロング・インタビューを受けた動画の内容の抜粋記事になります。そのインタビューはYouTubeにあるものです。これはドミニクがスティングのオーディションを受けた時の裏話になります。その時、ちょっとしたアクシデントがあったようです。
This article is an excerpt of content from when Sting and Dominic were interviewed together by Rick Beato in November 2021. You can watch the full interview on YouTube. This is the story of how Dominic auditioned for Sting. At the time Dominic had a small accident.

スティング、長年のギタリストがオーディションに落ちそうになったことを思い出す

まずは、この記事の全文を先に紹介しましょう。そしてここには書いてない、このオーディションの話を後で補足します。

過去30年間のほとんどの間、スティングはライブでもスタジオでもギタリストのドミニク・ミラーをそばに置いてきました。
このデュオのコラボレーションには、10 枚のスタジオ アルバム、何千ものライブ ショー、そして少なくとも 1 つのポップ クラシック (1993 年の「シェイプ オブ マイ ハート」) が含まれています。 しかし、ミラーはギタリストなら誰でもよく知っている愚かなミスによって、ギグでのチャンスをほぼ完全に台無しにしてしまった。

スティングは、リック・ビアトとの会話の中で、ミラーに自分のオーディションを振り返るように迫り、その話を「ミュージシャンにとって非常に重要なこと」だと考えていると語った。

スティングは、ミラーがニューヨークでのジャムセッションに到着するまでに絶大な評判を得ていたと述べた。 しかし、ドミニクはスティングに良い第一印象を与えるのに苦労しました。

「彼はアンプから音を出すのに必死で、バルブをチェックし、あらゆるものをチェックする。それがずっと続くんだ。イライラしてきたよ」とスティングは振り返った。「そして、私は彼のギターのボリューム・ノブを掴んで上げたんだ。」

ミラーは憮然としていた。
「その時、『よし、わかった。もう消えろ』と言ってくれれば、もうそれでいいや、と思ってたんだ。このおかげでニューヨークへの旅行も決まったし、おいしい食事も食べに行くつもりだった」とミラーは付け加えた。

「でも、それからジャムって……いろんなことをやったよ。あらゆるジャンルをね。僕はミュージシャンだから、何も問題はなかった。その時点では、『もうギグはなくなったんだ』と思っていたから、あまり緊張しなかったんだ(笑)
しかし、それは延々と続き、3時間くらい経ったところで、もう家に帰ろうと思った。スティングと一緒にぶらぶらして、ジャムって、クールだったよ」。

スティングはその後すぐにミラーに仕事を依頼し、2人はそれ以来ずっと一緒にいる。

まずこのオーディションの前の状況を説明します。

このオーディションに来る前、ドミニクはロンドンで、あのクリッシー・ハインドの『The Pretenders』にいました。
当時のドミニクはもう既にロンドンでは「評判の高い噂のギタリスト」になっていました。

ドミニクは1989年のフィル・コリンズのアルバム『...But Seriously』に参加し、その中のヒット曲「Another Day In Paradise」での演奏で注目され、大ブレイクします。ここからドミニクのミュージシャンとしてのキャリアは大きく開かれていく事になるんですが、このフィルのアルバムをプロデュースしていたのが、ヒュー・パジャムです。

元々ドミニクとヒュー・パジャムの出会いはヒューがプロデュースしていた、ジュリア・フォーダムのアルバム『Porcelain』(1989)でした。このアルバムで、ドミニクはただギタリストとして曲を演奏しただけでなく、ドラム・パートのプログラミングしていたり家のスタジオ開放して録音していたり色々な事をやっています。

その後、ヒュー・パジャムがフィルのアルバムをプロデュースをする事になったのを知ったドミニクは、ヒューに「そのアルバムで演奏させてくれ」と頼みます。しかし、実はもう既に別のギタリストが決まっていた為、最初断られます。
しかしそこでドミニクは諦めずにその後もレコーディング・スタジオに何度も電話を入れ、結局フィルが「まだレコーディングも初期だから、そんなに弾きたがってるやつがいるならスタジオに連れてくればいいよ」と言ってくれます。

そしてドミニクはそのスタジオでの演奏が非常にうまく行き、『...But Seriously』では最終的に5曲演奏し、その中のシングル曲「Another Day In Paradise」で世界的なブレイクを果たし、世界中から仕事のオファーが来るようになります。

Phil Collins - Another Day In Paradise (Official Music Video)

その後、ヒュー・パジャムが今度はスティングの新しいアルバム『The Soul Cages』をプロデュースする事になり、当時スティングはちょうどギタリストを探していたので、ヒューがドミニクをオーディションに推薦し、ドミニクはロンドンからニューヨークのオーディションに向かった訳です。

だから、上の記事にも書いてありますが、このオーディションに入るまでに、既にスティングはドミニクのとても良い評判を聞いており、すごく期待をして待っていた訳です・・・。

しかし、実はドミニク自身はこのオーディションは最初特に乗り気ではなかったんです。
大体ドミニクは驚いた事にほとんどスティングを知らなかったんです!『The Police』で活躍していたのは知っていたらしいんですが、あのバンドはドミニクの音楽性とは違うし聴いてもいなかったので、スティングがどれだけのスーパースターであるかも知らず、「環境問題を色々提起しているミュージシャン」くらいの認識だったそうです。

なので、ドミニクは全然何の準備もせずにスティングのオーディションに臨みました。スティングの曲は1曲も知らなかったそうです。
なかなかの度胸です(笑)

だけど結果的にこれが功を奏します。
ドミニク以外に呼ばれていたギタリストたちはスティングの曲を完璧にレコードの録音通りに演奏しました。
これがスティングが最も「大嫌い」な事でした。
スティングという人も常に音楽的に新しい事にチャレンジしたい人ですから、自分にとって「新しいもの」をもたらしてくれる人、自分の様々な要求に応える事が出来るようなギタリストを探していた訳です。

ドミニクは元々このオーディションに乗り気でもなかったし、何せ一番最初に「ギターのボリューム上げ忘れ」なんていうヘマをやらかしているし、ちょっと半分投げやりに、かなり自由に好き勝手に自分が思うままに演奏しました。でもそれが良かったんですね・・・。

この時のオーディションでは色んな曲を演奏したらしいです。ジミ・ヘンドリックスの「Purple Haze」もあれば、ビル・ウィザースの「Ain't No Sunshine」とかもやったみたいです。この辺の曲は、その後のスティングの「The Soul Cage Tour」で演奏されます。

そして恐らく一番スティングにドミニクが気に入られたのはあの名曲「Fragile」での演奏です。

この曲は聴いてお分かりだと思いますが、スパニッシュ風というか、ブラジル風の「ラテン系」のテイストの曲です。
だから南米に生まれ、アルゼンチンとブラジルの音楽を聴いて育ったドミニクにしてみたら、そんな曲を演奏するのは「朝飯前」の曲なんですが、他の参加ギタリストはラテン系の曲への対応が全然ダメだったらしいんです。

そしてその後更にスティングはドミニクを試します。今度は変拍子への対応です。
スティングの曲を知っている人はわかると思いますが、彼の曲は変拍子のものが多いです。1曲の中でもリズムが変わることはよくあります。というか、それが大きな特徴の一つで、曲の中で変わるリズムを効果的に、しかし本当に自然にうまく聴かせます。それがすごいカッコいいわけです。

だからスティングは次にドミニクを8分の7拍子、4分の6拍子とか、8分の9拍子の演奏で試します。
しかし、ドミニクはずっとジョン・マクラフリンに憧れてマクラフリン・タイプの曲を自分でも作って演奏していましたから、これもいきなり要求されても全く問題がなかった。

結局、他の参加ギタリストよりずっと多くの事が出来たドミニクは、全く乗り気でもなかったオーディションに受かってしまいました。
だから受かったはいいものの、最初ドミニクは受けるべきか悩んだそうです😂

それから約34年後、彼は今もスティングと一緒にいる事になります。
しかも、オーディションの時に弾いたこの「Fragile」を、ライブでドミニクはギターではなくベースを弾きます(笑)

なんだか人生の面白さを感じるエピソードだと思いませんか?こういうのを「運命」っていうんでしょうね😂
本当に面白いエピソードです。